長崎は今日も・・・①

すずとも

2018年11月26日 08:30


 先日、滋賀税協の機関紙にエッセイを寄稿したのですが、いろいろなところで反響を頂きました。調子に乗って、ここに転載します。
 私は海なし県に育ったせいか港町というのが大好きで、日本の中では断トツ長崎が大好きなのです。しばらく訪問してないのですが、昔は年に何回も訪れて、異国情緒を楽しみ美味しい魚と美味しいお酒を楽しんでました。
 なぜ、この街が好きになったのかを書いた文章です。

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大村空港からのアクセスバスに乗って約1時間、退屈な時間が続く。新しくできた高速道路はかなり山の上を走るので、長いトンネルと深い谷にかかる橋をいくつも超えていく。その谷の底にはやはり集落が見えて、いったいどうやってその家にたどり着くのだろうかと、どうでもいい心配をするうちにまた長いトンネルに入る。
 この最後の長い下り勾配のトンネルを抜けると、突然眩しい港の景色が目の前一杯に広がる。せまい湾内には大きな白い外国船がうかび、その横を島めぐりの小さな定期船が水しぶきを上げて駆け抜ける。奥にそびえる稲佐山はその中腹まで小さな家がびっしりと埋め尽くしていて、太陽の照り返しでモザイクのようにきらめいている。
 この瞬間、また長崎に来たのだと実感する。

 この街を初めて訪れたのはもう15年ほど前だから20台の後半になるが、格別な理由があるわけではなかった。当時、大学院を卒業し親の会計事務所に勤めながら税理士の残りの科目の受験をしていたのだが、なかなか合格せず悶々と毎日を過ごしていた。8月の1週目の税理士試験が「例年通り」終わると、やっと1年が終了。
 しかし専門学校は9月から授業がスタートするので、それまでの3週間だけが1年間で唯一の息抜きの期間となる。12月に「例年通り」の不合格発表が来ると、また同じ科目の「理論を廻さ」なければならないのだが、これが嫌で嫌で仕方がない。一度理論を忘れてしまうとまた暗記しなおすのに苦労をするのはわかっていたのだが、それでもこの3週間だけはすべてを忘れてしまいたくなる。そうでもしないと次のスタートを切る気力を振り絞れないのだ。(つづく)



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