2013年11月18日
税理士が主人公の小説って・・・
税理士が主人公の小説っていうのは、まず見たことがない。
先週、出張の移動時間つぶしのために駅の売店で購入した文庫の小説を読んでいると、その主人公が「税理士の卵」だったので少し驚いた。
経済小説ではなく純粋な文学作品の中で、主人公の職業がたまたま税理士という作品にいままで私はお目にかかったことがなかった。村上春樹さんの「色彩を持たない田崎つくると彼の巡礼の年」の登場人物の中に「父親は名古屋市内に税理士事務所をかまえて」いる黒埜という女性が僕の知っている唯一の登場例であるが、結局この人も税理士ではないのである。
税理士というのは、一般の人から見ればどういう仕事でどんな生活をしているかイメージがよくわからないため、小説の主人公の職業にはなりにくいのだろう。
今回私が読んだ吉田修一さんの「日曜日たち」という連作短編集の中の「日曜日の新郎たち」という作品の主人公も、実はまだ税理士ではなく「税理士の卵」である。税理士試験は簿記論、財務諸表論、法人税法、所得税法などいくつも受験科目がある中で、それぞれの科目ごとに合格不合格が判断され、最終的に5科目に合格すれば税理士になれるのであるが、この主人公はあと1科目合格すれば税理士になれるらしい。
この残り一科目が受かっているのと受かっていないのでは、天と地ほどの違いがあって、この最後の科目を合格するまで受験生は、希望と不安の中で毎日を過ごさなければならない。あれこれと将来のことを考えても仕方がないのに、やっぱり考えてしまう。受験生は人それぞれいろいろな方法でこの不安と立ち向かうのだが、結局は修行僧のように、ただひたすら税法の条文を暗記し、電卓を叩き計算問題の解答を繰り返すことで頭でなんにも考えなくても問題を解けるようにしていくことが一番良かったりする。考えないことが結局いいのだ。
この小説の中で主人公がなぜ税理士試験の受験を始めたのか、作中では触れられてはいない。あくまでも7,8年前にあった当時の恋人との間に起こった出来事が話の核心なのだが、元受験生だった者の視点からこの小説を読むとその出来事と税理士試験の受験を始めたことが関係しているように思えてならない。なんとなく作者にもそういう意図があるようにも感じられ「やっぱ吉田さん、すごいなー。」とか思ってしまうのだ。
今年も税理士の合格発表まであと少しだ。