2013年06月24日
僕とギターの物語 GIBSON社製レスポール①
開き直りかもしれない。
3回目に消費税、国税徴収法が全滅になった後からは、僕は生活スタイルを見直した。好きな小説も読むようになり、旅行にも出かけるようになった。それまでは試験に合格するまでは禁欲生活を送ろうとして、趣味も一切封印していたのだ。
そして、バンド活動も再開した。たまたま知り合った同じ業界の仲間たちで、バンドやろうという話が出てきたのだ。1年前なら絶対この話を断っていたと思う。けれどこの頃は、受験を乗り切るためには、むしろ趣味を楽しんだほうがいいのじゃないかなといいかなと思った。それだけ心に余裕が生まれてきたのだと思う。
「古山学とステンレスナイツ」はこうして誕生した。とりあえずは古い日本の歌謡曲のコピーバンドで、たまに誰か友人の結婚パーティーで演奏するだけの活動だったけど、本当に楽しかった。誰かと一緒に音楽を作り上げていく作業は、一人で理論を暗記する作業とまったく違う。毎日がちょっとずつ楽しくなってきた。
そんなある日、ギター雑誌を見ていると、広告のページにGIBSON社製のレスポールを見かけた。サファイアブルー色をしたとても綺麗なギターだった。まさに一目ぼれしたのだが、こんな受験生の分際でこんないいギターを持ってしまうのなんて許されるのか?自問自答した。1分間だけ。
数日後、インターネットで注文したそのギターが家に届いた。禁欲生活は心と体によくないと悟ってしまった僕には、もはやためらいなんてほぼなかった。今まで買ってきたギターとは比較にならないぐらい高価だったけれど、USA製のこいつはとても甘美で官能的な音がした。いいギターを持つと自分のギターのテクニックがうまくなったと錯覚するということをはじめてこのギターで知ることとなった。
こいつは、今では私の愛器となった。
そして、錯覚でも自分に自信を持つことはいいことかもしれない。
翌年、国税徴収法に合格した。あと、一科目。
2013年06月17日
僕とギターの物語 オービル社製フライングV②
穴があったら 入りたい夜
穴をほっても 入りたい夜
慰めてくれる 人もなく
畳み掛けてくれる 人もなし
この時期に僕が作った歌のAメロ部分の歌詞だ。
税理士試験受験は2年目に法人税を合格した。法人税というのは税理士試験の最大のヤマと言っていい科目で、こいつさえ受かれば残る税法2科目は、丁寧に勉強しておけば受かると思っていた。
それが、甘かった(2回目)。
その次の年に受験した消費税、国税徴収法の受験は全滅。その次の年も、またその次の年も全滅である。試験の手ごたえも悪くはないのだがなぜか合格しないのだ。この頃から完全に自信を失っていく。それどころか、模擬試験の成績も全国1番だったりするのでこれ以上何を勉強したらいいのかわからず、自分自身も見失っていった。
なによりも卑屈になっていく自分に嫌気がさしてくるのだ。既に同年代で税理士として活躍している人たちを見ては嫉妬し、自分だけがどんどん置いていかれるような疎外感を味わった。
三回目に消費税、国税徴収法が全滅だった不合格発表の日の翌日、一気に書き上げた曲が冒頭の曲だ。当時の受験中は音楽活動はまったくしておらず、ギターも部屋の単なるオブジェと化していた。それが不合格発表の翌日に突然歌が作りたくなった。どうしても。自分で歌を作ったのは高校生以来だったけど、わずか1時間ぐらいで歌詞も曲も完成した。タイトルは「屈辱」。近所迷惑のためアンプをつなげてないエレキギターの小さな生音をバックに小声で自分の部屋で弾き語りをした。誰にも聞いてもらえないけど、少しだけど、すっとした。
今では、この「屈辱」は僕のバンドのライブの時には欠かさず歌うナンバーになって、僕以外の人に無理やり聞いてもらっている。
2013年06月10日
僕とギターの物語 オービル社製フライングV①
要は才能不足だったのだが、その中でも決定的に英語力がなかった。そもそも大学院の入試科目にも英語はあるのだが、これをクリアするのに相当苦労した。中高大一貫校でまったく受験勉強ゼロな僕は決定的にボキャブラリがなかったので、入試の半年前に「でる単」を購入してひたすら単語の暗記に励んだ。受験勉強をしないツケは、結局払わせられるのだ。
そして研究者になるには、ひとつの物事に徹底的に向き合う集中力も足りなかったかもしれない。これは、どんな仕事にも、趣味にも、そして人生において一番大事な能力だと思う。集中力がなければ能力は発揮できないし、たとえ能力は平凡でも集中力さえあれば、それなりにデキるやつになれる。
で、気がつけば修士2回生の秋から大原簿記専門学校の税理士コース法人税科に通いだしていた。いまさら一般企業に勤めることなど到底考え付かなかったし、大学院で会計系の修士号を取ると税理士試験の簿記論と財務諸表論の2科目が免除になるという打算もあった。研究者の道はあきらめたとはいえ、それなりに「デキルやつ」と自惚れていた当時の僕は、残りの税法3科目の税理士試験ぐらいはちょちょっと勉強すれば合格するだろうと思っていた。
それが、甘かった。
思い知らされたのは初めて大原の授業を受けたときのことである。税理士の税法科目の試験は理論編と計算編の2つに分かれているのは知っていた。当然、税金を計算するには法的な根拠が必要なわけであり、そのため税法の解釈を問われているのが税理士試験の理論編だと思っていた。ところが、O原の講師の先生は税法の条文を少しだけ要約した参考書(大原では「理サブ」という)の、該当ページを広げると「はい、次回までに条文を一言一句そのまま覚えてきてください。」と言い放った。
え、丸暗記?そうなのである。税法の理論は暗記科目なのである。条文を単元ごとにまとめたものを暗記していき、最初は1週間に1ページだけ暗記しているのを、1週間に2ページ、1週間に4ページと言う具合にだんだん暗記量を増やしていき、本試験直前には100ページぐらいまで暗記することになる。しかも1科目だけで。これを受験生たちは「理論をまわす」と表現しており、
「俺もう40(ページ)ぐらいまわしてるで。」
「うそ、すごいな。おれまだ15(ページ)ぐらいやで。もう試験に間に合わんから、ヤマはりにかけるわ。」という会話が、試験直前にはいたるところで交わされるのだ。
こうして、僕の「理論をまわす」日々が始まった。こいつは税理士試験が終わるまで延々と続けなければならないのだ。無間地獄とはこのことである。
大学院を卒業すると、晴れて無職の週2日だけ専門学校生となった。そんな心がすさんでいく日々の中で買ったギターがオービル社製のフライングVである。当時マイケルシェンカーが大好き(もちろん今でも)だったので、シェンカーの愛器であるフライングVを購入したのだ。もちろん無職専門学校生が大金を持っているわけがなく、ハードオフで3万円ぐらいで購入したパチモンである。このオービル社製のギターは当時、日本製と他国製のやつがあったが、こいつは間違いなく日本製ではない。みてくれだけで買ったギターなのでライブで使うことは想定していない。
そもそも、僕はこんな変形ギター持ってもまったく似合わない。

2013年06月03日
僕とギターの物語 東海楽器社製ジャズベース
大学時代は、結局音楽活動は全くしなかったし、学生生活のほうもパッとしたものではなかった。立命館大学では立命館高校から内部進学してくる連中は「立高生」と呼ばれており、あまりいい評判ではなかった。内部から進学してくる連中は高校時代からの友人がそこら中にいるために大学に入学した時点からえらそうにしてたし、高校時代からそれなりに遊びも覚えていたので、これまたえらそうにしていた。やっと受験勉強もおわり開放感一杯に遊びだす同級生を「大学デビュー」と呼んで、おれたちは違うんだというフリをした。当然大学での友達づくりでもあまり積極的でなく、そのうちにクラスのみんなから「冷めたやつら」として敬遠されるようになる…。これが標準的「立高生」だったし、ご多分にもれず僕も1回生の終わりぐらいまではそんな冷めたやつだったかも知れない。
けど2回生ぐらいになってからはその反動で、夜な夜な仲間とつるんでは1週間ぐらい一度も家に帰らず遊びまわったりしたりしたかと思えば、3回生になってからは勉強も結構マジメにやりだしたけど。
というのも3回生からは、いわゆる「ゼミ」というヤツが始まってそれが面白かったのである。私が選んだゼミは会計学を専門に勉強するゼミだった。大学に入学した当初は前述のように冷めていたので、「2回生ぐらいまでは遊んで3回生からは公認会計士の試験勉強でも始めるためにダブルスクール(大学と同時に試験受験予備校に通うこと)でもはじめようかな。」と漠然と考えていた。べつに会計士の勉強を選ぼうとしたのも、たまたま実家が会計事務所をしていたからというだけで、何にも思い入れもなかった。
そこでゼミもとりあえず会計学のゼミにして、それからどの受験予備校にするかをじっくり選ぼうかと思っていたら、ゼミの勉強が面白くなって完全に会計士受験のことは忘れてしまったのである。ゼミの教官は今でもお世話になっている澤邉先生という方だったのだが、新進気鋭の若い学者でそれがすごくかっこよく見えて影響されてしまったのだ。当時先生は、スウェーデンでの研究を終えて日本に帰られたばっかりだったので、日本語でのコミュニケーション能力が若干低下されていたのだが、それが逆にかっちょ良かったわけである。
「ふむ。そのナイーブな議論では、決定的にブリリアントなパースペクティブに欠けているんじゃない?」
そして思った。僕も研究者になろうかな。
僕は、結局会計士試験の勉強を始めることもなく、ましてや就職活動をすることもなく4回生の秋に大学院入試のテストを受けて、そして合格した。指導教官も澤邉先生になってもらうことの内諾も貰った。
そういえば思い出したが、大学卒業前に一度だけ「汁(しる)」を再結成してライブを行った。確か京都ミューズホール。誰が言い出したのかは覚えていないが学生生活の思い出ということでを2,3回だけスタジオに入って練習して本番に挑んだのだが、ブランクを感じさせないそれなりにまとまったライブになった。ライブが終わってから、対バンを見に来ていた女子高生の3人組が、僕たち「汁(しる)」のほうがおもしろくかっこよかったと言って声をかけてくれて、その後で、メシ食べに行ったっけ。これも楽しい思い出。
今回の写真は番外編ということで、なぜかギターではなくベース。この東海楽器社製のベースは本多が初めて買ったベースだったのだが、その後彼がフェンダーのベースを買ったので不要になったもの。というわけで、同じく私も不要になっていたベスタマニアック社製のギターがあったのでそれぞれ交換したものである。このベースには本多が名付けた「亀山務号」という愛称があったが、僕が本多に渡したギターは「和田豊号」とネーミングされた。あの頃阪神ファンだった本多は今は、ロッテファン。時の流れは早いものだね。