2013年05月27日
僕とギターの物語 アイバニーズ社製RGシリーズ②
そして「汁(しる)」は解散した。大学の入学式の日の翌日に。
僕たちは通っていた立命館高校から、エレベーター式に立命館大学に入学したのだから「汁(しる)」の活動を継続することは可能ではあった。けれどその頃にはメンバー間でやりたいことは、それぞれ違った。
ボーカルのこうてつは、ブラックサバスに傾倒して古い英国ロックをやりたがっていたし、原田は銀色夏生のポエムなんかを読んでポップ感あふれる音楽をやりたがっていた。平松は電子音楽が好きでクラブでDJをやりだした、本田と井村は大学では映画を撮りたいと言っていた。そして僕は…特にやりたいことはなかった。僕だけはなんだか取り残されたような気持ちを残したまま解散した。
ラストライブは、なんと今はなき吉本興業の心斎橋2丁目劇場。吉本は当時ライブ大会を主催してバンドを募集しておりしていたのだ。バンドブームは夏の終わりの海岸のように、ほぼ終わろうとしていたのだが、そのおこぼれにあずかろうとしていたのだろう。さすが吉本。で、「汁(しる)」はやっぱりテープ審査に通って本番のライブ審査に行くことになったのである。このライブを最後と決めて。
ライブの日は大学の入学式の翌日。この日はオリエンテーションとやらがあるためギターをかついで大学に行って、午後はそのまま心斎橋に向かった。おかげで、午後からあった基礎演習というクラス単位の顔合わせに参加できなくて、それ以後このクラスの友達は誰も作れなかった。
2丁目劇場に行くと誰か有名な芸人に会えるかと期待していったのだが誰にも会えなかった。その代りライブ前のミーティングで、ライブのMCを担当するというまだ売れてない若手漫才師を紹介された。「誰やねん!せめて名前ぐらい知ってるやつにMCしてもらいたいわ。」と僕らは心の中で悪態をついていた。「メッセンジャー」と名乗ったその二人組は、その後、関西人の誰もが知る芸人となった。
ライブはまあまあの演奏ができたけど、特に何も賞をもらうこともなく、吉本に「所属せえへんか?」と言われることもなかった。そして解散した。
僕の大学時代は、こうしてはじまった。
この頃メインに使っていた僕のギターはアイバニーズ社製のRGシリーズと言われるやつ。もともとリードギターの原田の使っていたやつを中古で買い取ったものだ。当時アイバーニーズのギターはスティーブ・ヴアイ、ポール・ギルバート、ジョン・ペトルーシ、ジョー・サトリアーニなどの、いわゆるテクニカル系のギタリストが好んで使用していた。このギターをもっているだけで僕もうまくなれる気がしたのだが、全然ダメ。今となってはこのギターをもって人様の前でライブするなど考えられないのである。それでも、ネックが薄く24フレットまであるこのギターをみると、できもしないタッピングの練習をしたり、スイープ奏法もどきをやっていた、あの頃がよみがえってくるのだ。
2013年05月20日
僕とギターの物語 アイバニーズ社製RGシリーズ①
「汁(しる)」は、それでも懲りずに、バンド活動を続けた。そしてそれなりに学校内のバンドとしても認知され、高3の文化祭ではライブハウスにはめでたく出演することができたのだ。
色モノ系のバンドは強い。
あの頃の僕たちのライブの標準的なセットリストは以下の通り。
①増殖!エコロジー青年!
②合法的な唄
③君とイツマデモ(半コピ)
④磔
⑤DJM(俺は、駄じゃれマスター)
⑥モラルの低下と正義の関係
⑦無所属新人
これらの曲のタイトルを見ただけでも懐かしい気持ちがこみ上げてくるが、こんな曲名のおかげで色モノと分類されたことはよくわかると思う。けど、一度ライブを見た人の記憶には残るらしく、いろいろなところで声をかけてもらった。
なんとあれだけへたくそな演奏をかましたというのに「ライブキッズで見ておもしろかった。」という理由で、わざわざ橘女子大の学園祭のライブハウス実行委員会からに連絡を頂き、晴れて女子大の学園祭でライブをしたりした。あこがれの「女子大での潜入ライブ」にぼくらはドキドキしたものだ。出演日が金曜日の昼間だったので高校の授業をさぼって出演したのもなつかしい。
2回目のライブキッズにもめでたく出演することが決まった。
あらためて色モノバンドは強い。ライブ大会には欠かせない存在なのだ。みんな同じようにかっこいいだけのバンドばっかりじゃ、ライブはつまらない。そのころには、対バンにヘビメタコピーバンドが来ても、まったくビビらなくなっていたのだ。それと同時に、彼らからもいろいろ刺激を貰ってディープパープルの初期の作品を聴いて感心したり、マイケルシェンカーのUFО時代の泣きのギターソロを聴いて“ぶっ飛んだり”、ますますギターの練習をするようになった。全然うまくはならなかったけど。
こうして、ぼくたち「汁(しる)」は高校3年の終わりまで全力で駆け抜けた。
2013年05月13日
僕とギターの物語は今回は休み
先週、東京へ出張。たいてい最終の新幹線で帰るのだが、いつも私は通路側の席を指定して予約する。トイレが近いものでこれは譲れない。
今回はC席の予約ができたのでラッキーと思った。ご存じの方も多いと思うが、新幹線はA席、B席、C席の3席が一緒になっていて、通路を挟んでD席、E席の二人掛け席となる。B席はあまり人気がないため売れないので、C席に座れると隣のB席は空席の場合が多くゆったりと座って帰れることになる。
東京駅出発時点ではA席もB席も誰もいない。品川出発でも変わらず、これはしめしめと思っていると、残念ながら新横浜から大柄な外国人の男性が一人やってきて、「スイマセン。奥イイデスカ。」と流暢に声を掛けてきた。ああ、A席やなと思って、足をかがめて奥の席に男性が通るのをやり過ごしたら、なんとB席に座った。
A席は空いたままなのに、大柄な外国人の男性に圧迫されながら、京都までの2時間半を過ごした。
こんなこともあるよね。
最近、ひげを少しのばしてます。ちょい悪にあこがれてみたのだが、やはりどうもしっくりこない。
みなさんはどう思われますか?ご意見お待ちしてます。
2013年05月05日
BLADE社製ストラトキャスターモデルギター②
「汁(しる)」のライブ大会への出演が決まった。
京都市内で行われるライブ大会のテープ審査に通ってしまい、京都会館で行われるライブ大会の本戦に出場することになってしまった。しかもこの出演が初舞台なのである。えらいことになってしまったというのが正直な気持ちだった。
このライブ大会は「LIVE KIDS」というイベントで、今でも毎年3月に行われているらしい。当時京都にできたばかりのFM局のαステーションなんかも後援しており、当時で約200組くらいの応募があり、そのうちテープ審査で通ったたった10組程度が京都会館で行われる本戦に出場することになっていた。僕たちの「無所属新人」が見事にテープ審査を勝ち抜いたのである。
この本戦に僕たち「汁(しる)」の6人が勢ぞろいして出場るのなら、そこまで困ったと僕は思わなかったに違いない。以前にも書いたが「汁(しる)」にはギタリストは僕以外にも中学校の頃からギターを弾いていてハードロックにも詳しい原田がいて、彼がリードギターだった。僕はいつまでたっても下手糞で、ソロなんか弾けないからリズムギターに格下げされていたのだ。
「お前、ディストーションかけてコード弾くんやったら、ちゃんとブリッジミュートしろよ!」
「エフェクターのリバーブきつ過ぎで原音がわからへんやろ!」
よく原田には怒られたが、テクニックのイロハをいろいろ教えてもらった。
ところが、そんな彼が「無所属新人」のデモテープの作成には参加し録音も終わっていたのだが、「俺も別にバンドを組んでLIVEKIDSに応募するから」といって、「汁(しる)」のギタリストとしてLIVEKIDSへ参加しないと言い出したのだ。そしてとっと別にバンドを組んで応募してしまった。しかもドラムの平松を連れて行ってしまった。
残された僕らは結局、原田、平松不在のまま、LIVEKIDSに応募することにした。メンバー表のギタリストの欄には僕の名前だけを書き、ドラムのところには、高校吹奏楽部の正ドラマーの尾藤を拝み倒して名前だけを貸してもらうことにした。どうせテープ審査で落ちると思っていたから。
しかし、神様のいたずらか、「汁(しる)」だけがテープ審査に通ってしまったのだ。困った。やばい。原田のように弾けない。それと同時に、まともなエレキギターを持っていないことにあせった。
ライブ大会本戦まであと2ヶ月。お金はない。そこで、アルバイトをしてまともな音のするエレキギターを買うためのお金を稼ぐことにした。うちの高校はバイト禁止だったから、いよいよ僕もロック小僧らしくなってきた、と思った。
家で母親にこう伝えた。
「今度ライブ大会出ることに決まってん。」
「へー。」
「この大会はテープ審査が厳しくて200組中10組ぐらいしか選ばれへんねん。」
「それはすごいなー。」
「でな、今使ってるエレキギターは安もんで、ひどい音やから、ライブに出るためのええギターがいるねん。そやし、アルバイトしてお金作ろうと思って・・・。」
「・・・。」
その日、母親はなにも言わなかった。けど、次の日にバンドの練習を終え家に帰ると真っ先に僕の部屋に来てこう言った。
「あのな、お父さんと相談したんやけどギター買うお金出したげる。10万円もせえへんやろ?そやし、アルバイトはやめとき。勉強がおろそかになったらいかんやろ・・・。」
息子がロックやらバイトやらなんかをして、勉強しないアホになったら困ると思ったのだと思う。その親心は痛いほどわかる。僕はとても大事に育てられたのだ。そのことが自分でもよくわかってるから、それ以上親には何もいえなかった。さらに、とどめにこう言われた。
「そんで、ライブ大会っていつあるの?お父さんと見に行くし。」
親に買ってもらったギターで、親の目の前でライブをする。こんなの全然ロックじゃない。結局、子供なんて、いつまでたっても親からすればかわいい子供らしい。そして、それを断れない僕。親孝行なロッカーってありえるんだろう?思春期の僕は悩みながらも、母親に貰った10万円を握り締め、次の週末に楽器屋さんに向かった。
購入したのはBLADE社製のストラトキャスターモデルのやつ。たしか8万円ぐらいだったと思う。
今はもうなくなったが、京都の高辻通西木屋町を少し上ったところにWESTというギター屋があった。ここでも僕は試奏もたいしてせずこのギターを買った。店員のロック兄ちゃんに「どんな音出したいの?」と聞かれても、答えるだけのボキャブラリィもないし、好きなギタリストさえいなかった。彼は、そんな僕にとりあえずいろいろな音楽に対応できるように、ストラトタイプのこのギターを薦めてくれた。決して悪い音ではないのだが、後のこのギターの音は僕は好きではなくなる。ある程度ギターを弾くようになると、自分好みの音がどんな音かがわかってくるようになるのだ。そしてリスペクトするギタリストも。
このギターを持って出演したLIVEKIDSでは惨憺たる「汁(しる)」のパフォーマンスだった。なにせ初ライブ。ライブハウスで腕を磨いたわけでもないから、ライブ慣れをしていないどころの騒ぎではない。リードギターの僕は、緊張して演奏中にシールドを踏んでギターのジャックから抜けてしまい音が出なくなり、ベースの本多は演奏が走りまくってどこを弾いているのかさっぱりわからない。
ボーカルのこうてつに到ってはライブ後の講評があまりにもひどかったのに逆ギレして、審査員にこう言い放った。
「今晩、おまえに電話するしな!」
今は教育者として某高校で社会科を教えている彼も昔はこんなやつだった。
そして、このひどいライブを僕は両親の目の前でやったのだ。ライブが終わってから両親は楽屋に来て、他のメンバーに「うちの息子といつも仲良くしてくれてありがとうとうね。」と挨拶してくれた。そして、僕たちは絶対、不良になれないと思った。