2013年04月29日
僕とギターの物語 BLADE社製ストラトキャスターモデルギター
まともなエレキギターギターを買ったのは、高校2年生の冬。
いや。正確に言うと、親に買ってもらった。
僕たちの結成したバンド「平松こうじと地蔵盆ゲリラーズ」はその頃には既に「汁(しる)」という名前に改名していた。初舞台を狙った2年生の秋の高校文化祭のライブハウスへの出演は、残念ながらテープ審査で落とされ出演できなかった。もちろん悔しかったが、当時の持ち歌が1曲しかない状況では仕方がなかった。
その持ち歌さえも僕たちのオリジナルの歌でカバー曲は一切やらなかった。カバーをするテクニックもなければ、真似したい好きなロックな歌も知らない。だったら僕らで作ってしまえ!ということになったのだ。
この記念すべき「汁(しる)」のオリジナルソングの1曲めは、僕が作詞をし、本多が曲をつけた合作だった。タイトルは「無所属新人」。
誰もが俺に期待する 誰もが俺にすがりつく
誰もが俺をののしって 誰もが俺を打ち砕く
自分の義務を果たさぬくせに 権利ばかりを主張し
ゴタクばかりならべたてる
昔、父親が地元の町議会議員というヤツをやっていて、何かの弾みで町長選挙にまで出てしまい、あっけなく敗れてしまったときのことを思い出して作った歌だ。べつに、僕自身にそんなに思い入れのあるエピソードでもなかったはずなのだが、「お前、なんか詩(し)かいてくれよ。」と本多に言われたときに、真っ先に思い浮かんだのが「無所属新人」って言葉だったのだ。無駄な選挙の残酷さを見せ付けられ、父親と同じように僕も傷付いたのだと今ではおもう。
国語の授業以外に自作の詩というやつを生まれて初めて書いて、本多に見せたときはものすごく恥ずかしかったのだが、彼は特に詩の内容についてどうのこうの言うわけでもなく、2,3日後には曲をつけてきた。例の部室で、本多は僕の「無所属新人」を曲に乗せて弾き語りをしてくれた。そのとき歌が誕生した。そしてそれは僕たちのロックだった。
伝えたいことがあるから、歌うのだ。とてもダサい歌だけど。伝えたいことがあるだけで、他の同級生バンドのやつらとは1枚も2枚も違う気がした。
僕たちは、この歌をMTRに録音してデモテープを作った。そして、このテープに添えるバンド写真を高校の正門前の階段で撮った。
この写真の場所は、その後メジャーデビューした僕たちの高校の後輩のバンド「くるり」がアルバム「さよならストレンジャー」でのジャケ写に使われているのを見て驚いた。くるりのベーシストの佐藤君は高1の秋から僕が入部した剣道部の2年後輩だ。彼は僕の卒業のときの寄せ書きにこう書いてくれた。
「汁(しる)が武道館でライブするときには呼んでください!」
結局、武道館ライブを実現させたのは彼らのほうだった。
この正門前は、今年の9月に母校が長岡京に移転することで見納めになる。あれから20年以上がたった。
久しぶりにライブの告知を・・・
満員御礼!!
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