2013年04月22日
僕とギターの物語 VESTER MANIAC社製ジャクソン風エレキギター
エレキギターを買ってしまったのは、アコギを買ってわずか半年後のことだった。当時僕らは部室でアコギを「弾きまわし」をしていた。「弾きまわし」というのは誰かが自宅で歌本のコード譜を見て新しい曲を弾けるようになってくると、学校の部室でその歌をアコギをジャカジャカ弾きながら歌うのである。するとそれを聞いているほかのやつらが「ほぉ、やるやん。」とか「そのアルペジオいいねぇ。」とか批評して後、別の誰かが同じように新しく覚えてきた歌をジャカジャカギターをかき鳴らしながら歌うのである。まあ、ただそれだけのこと。
それはそれで楽しいのだが、半年もすると飽きてくるのだ。そもそも大してコードも覚えていないから弾ける歌が少ないのである。
そんなある日、本多がチラシを手に部室にやってきて言った。「これに、出えへんけ?」
そこにはNHK主催BSヤングバトル出演者募集!の文字。世は空前のバンドブーム。僕らも少しは気になっていたが、バンドなんて場違いのようで恥ずかしかった。BOOWYやらハウンドドッグやら、カッコいいやつらの聞いたりする音楽がバンドであり、そのバンドを僕らがやるのは信じられない気分なのだ。それがあの天下の公共放送までがバンドブームに乗っかり出演バンド募集ときたもんだ。帰宅部の僕らがバンドを組んでもいいんでないの?ちゃんとうちの家はBSの受信料払ってるもんね。
かくして、バンド結成となった。僕がギター。本多がベース。いもちゃんは・・・、なぜかかたくなに参加を拒んだ。お約束のじゃんけんでパートを決めたようとして、いもちゃんがギターになれなかったためではない。きっと彼の中では、バンドで演奏している自分がきっと想像ができなかったのだ。少し前の僕のように。
そのかわりいもちゃんはマネージャーとして他のメンバーを連れてきた。吹奏楽部でドラムを叩いた事のある平松。中学校の頃からギターを弾いていた原田。音楽の時間にカンツォーネを朗々と歌いあげ小林先生(通称こばせん)をうならせたこうてつ。そして楽器も弾けなく歌もうまくないけどとりあえず俺も入れてという井村。
こうしてツインボーカル+ツインギターの6人編成バンド「平松こうじと地蔵盆ゲリラーズ」が誕生した。バンド名だけでどんな曲をやるか大方の予測がつくというものだ。
そして、バンドができてから僕はエレキギターを買いに行った。アコギと同じく三条寺町の十字屋だ。同じ楽器屋でもアコギコーナーとエレキコーナーでは緊張の度合いがまったく違う。エレキコーナーの店員の兄ちゃんは金髪ロンゲのいかにもロックな容貌なのだ。今となってはこんなロック兄ちゃんこそとてもやさしく親切な人だとわかっているのだが、当時の僕はめちゃくちゃ萎縮した。予算は正月にもらったお年玉を主たる財源とする3万円。エレキを買うのにこの予算はありえないのは今ならわかる。けど、当時FENDERとFERNANDESの違いもまったくわからない僕には十分だ。ストラトのシングルコイルピックアップ繊細な音とレスポールの図太い音の違いがわかるようになるのはもっとずっと先のことだ。
恥ずかしくて試奏もできない僕は、ジャクソンヘッド部分に「VESTER MANIAC」と聞いたことのない社名の書かれてあるエレキギターを手に入れた。チェリーサンバーストのボディーカラーだけで決めてしまった。。ピックアップがひどいもので、オーバードライブをかますと、輪郭のまったくないしょぼい音がした。
このエレキギターを担いで家に帰ったとき、親に見せるのに躊躇した。
「ロックは不良になる。」
僕はそう思っていた。
そしてその不良の道を選んだ僕自身が親不孝に思えたのだ。エレキギターを買っただけで不良になれたら世話はない。そんなウブな少年だった。
久しぶりにライブの告知を・・・
満員御礼!!
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僕とギターの物語(終) フェンダー社製テレキャスター②
僕とギターの物語 フェンダー社製テレキャスター①